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ドリーム・ポップとは何か?
ドリーム・ポップ(Dream pop)とは何か?と言う疑問に明確に回答出来た記事は未だ見た事が無い。結論から言えば、「サウンド面での定義や規定が無いから」なのだが、それにはいくつかの理由があるので最後まで読んで貰えると嬉しい。
ドリーム・ポップの由来
日本では多くの場合、Cocteau Twins(コクトー・ツインズ)を祖と説明しているが、これは半分正解で半分間違っている。”ドリーム・ポップ”と言う言葉はA.R. KaneのAlex Ayuli(アレックス・アユリ)が自身のバンドのサウンドを表現するために使用した事が由来となっている。さらに、音楽評論家のSimon Reynolds(サイモン・レイノルズ)がこの言葉を採用してシューゲイズの初期段階についての説明を行った事が世に認知されるきっかけとなった。英語版のWikipediaにも明記されている。
因みに日本語版Wikipediaには、残念ながら”功労者”とされているA.R. Kane、Simon Reynoldsの名前は記されていない。
ドリーム・ポップとシューゲイズの違いはどこ?
この疑問が一番多いのでは無いだろうか。しかし、これに関しても英語版のWikipediaに”シューゲイズとドリーム・ポップには互換性がある”と明記されており、答えは出ている。シューゲイズ=ドリーム・ポップなのだ。先ほど、Cocteau Twinsをドリーム・ポップの祖とする事に半分正解と書いたが、互換性があるのであればドリーム・ポップと言う言葉を用いて、初期のシューゲイズを説明した記事であるのだから、Cocteau Twinsが祖であってもなんら問題は無いのである。
サウンドが全く違うのに同じジャンル?
シューゲイズ=ドリーム・ポップとなると、ますまる混乱する人も居るかも知れない。簡単に説明すると、あくまでこの2つの言葉の間に互換性があるだけで、そのバンドの全てを表現出来るものでは無いのだ。アーティストは多くの場合いくつかの音楽的ルーツを持つ。そのバランスは人それぞれ、作品それぞれで違ってくるわけだが、ドリーム・ポップとされるアーティストの影響が大きければ、そのアーティスト、作品は”ドリーム・ポップ”と分類される事になるだろう。
多様化が進む現代のドリーム・ポップ
近年になってドリーム・ポップと表現・分類される音楽が増えてきた。正直、ドリーム・ポップやシューゲイズは”サブ・ジャンル”であり、そこまで巨大な力があるとは思えない。では何故ドリーム・ポップは勢力を拡大出来たのだろうか?
圧倒的な親和性
シューゲイズの中でもファズを使用したり、My Bloody Valentineの「loveless」のようにリバースリバーブを使用していたり、激しく歪ませない場合はドリーム・ポップに分類される事が多い。
となると、それらを除いた、深いリバーブ、コーラス、シマー・エフェクトやウィスパー・ボイスなど、ジャンルを認識させるための構成要素の多くは他ジャンルにも取り入れ易く、この親和性の高さこそがドリーム・ポップが急増した要因の1つである事は間違いない。
再定義のトリガーとなったSlowdive
シューゲイズがそうであったように、新たな世代のアーティストがシーンの中核となると、ジャンルの再定義が必ず起きる。ドリーム・ポップにおいてはSlowdiveが再結成後初となるスタジオアルバム「Slowdive」を発表した2017年以降にそれが起きたように思う。
また、拡大解釈と再定義は似て非なるものだ。例えば、リバーブを多用したスロウコア、サッドコアのバンドに対して、サウンドが近いと言う理由でドリーム・ポップとするのは拡大解釈であり早計である。何故なら、スロウコアはグランジに対するカウンターであり、シューゲイズの系譜では無いからだ。
ではトリガーとなったSlowdive以降が再定義されたドリーム・ポップなのかと言うと、そうでも無い。再定義と言うのは再発見でもあるのだ。
“再定義”以前と以後、全てを含めた20年代の幕あけ
現代のドリーム・ポップ・バンドの多くがその影響を挙げているのがThe Sundaysである。しかし、彼ら自身はThe Smithsの影響を受けており、デビューアルバムもThe SmithsをリリースしていたRough Tradeから。当時は当然ではあるが、ドリーム・ポップとは紹介されておらず、再定義以前ではイギリスのオルタナティブ・バンドであった。
The Sundaysがドリーム・ポップに含まれるのであればSixpence None The Richerを加えて問題は無いはずである。こちらもクリスチャン・ロックとされており、「Kiss Me」の大ヒット以降はロックバンドとして紹介されているが、アルバム収録曲などで聴けるサウンドはかなり現代のドリーム・ポップに繋がる。
90年代に活躍した素晴らしいバンド達の功績によるものなのか、あるいは隔世遺伝か、近年のバンドは90年代初期のサウンドを思わせる作風がトレンド化している。
まず、勢いを増すカナダ勢からはオンタリオ州を拠点とするDizzy、飛ぶ鳥を落とす勢いのSoccer Mommy、デビューLPで大きな注目を集めたHarriette Pilbeam (ハリエット・ピルビーム) によるソロ・プロジェクトHatchieなどがその代表格として次世代ドリーム・ポップの一翼を担っている。
また、その一方ではニューウェーヴ、ゴシック・ロックだけではなく、シューゲイズ、ドリーム・ポップまで多彩な才能を魅せるDrab Majesty、同じくDais Recordsの期待のホープChoir Boy、Lush直系のサウンドで正当なドリーム・ポップの後継者として最前線に立つBlushingなど、それぞれの個性を武器にそれらを迎えうっており、シーンを追う我々も楽しくなる。
しかし、逆のパターンもある。LAの若き天才Phoebe Bridgersなどはインディ・ロックと書かれる事が多いがドリーム・ポップ的なサウンドであり、ドリーム・ポップ好きの年間ベストには必ず入っている印象があった。レーベルもSlowdiveと同じDead Oceansなのだが、ドリーム・ポップとはされていない。
逆にPhoebe Bridgersが好きならばいくつかのドリーム・ポップのバンドは必ず好きになるとも言える。
ドリーム・ポップの未来
ここで1つ断っておかねばならない。ここまで書いてきた事は全て、新しいものを受け入れる姿勢あっての事だと言う事だ。
もし、過去の価値観にどうしてもとらわれ、違和感を拭い切れない場合は”過去があり、今がある”のでなく、”過去もある、今もある”と言う考え方を提案したい。ともあれ、新譜を買うところからドリーム・ポップの未来は始まり、全てはあなた次第である事は間違いない。
最後にジャンルについての補足
大前提として、アーティストの意向を無視してジャンルや分類する事は出来ない。例えば、My Bloody Valentineが突然「我々をシューゲイズと言うのはやめて欲しい」と言いだしたとしたら、それが彼らの意志である以上、黙って従うべきであろう。
しかし、私たちリスナーが想像の翼を広げ、自由に飛び立つまでに彼らの音楽を発見するタグが必要である。”ジャンル”がそれであるとすれば、それは時代時代においてアップデートされ、正しくあるべきだと考えこの記事を書いた。
それほど突拍子の無い事は書いていないが、けして論争を巻き起こすためでは無いので誤解の無いようにお願いしたい。それよりも、我々がするべきは”楽しみ方を創造する”と言うクリエイティブな視点を持つ事では無いだろうか。それこそがシーンであり、カルチャーである。
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